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東京高等裁判所 平成4年(行ケ)310号 判決 1993年6月03日

大阪府八尾市安中町4丁目1番28号

原告

望月正典

同訴訟代理人弁理士

坂上好博

東京都千代田区霞が関3丁目4番3号

被告

特許庁長官 麻生渡

同指定代理人

西村敏彦

安田徹夫

中村友之

長澤正夫

主文

特許庁が昭和63年審判第8976号事件について平成3年10月23日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一  当事者双方の求めた裁判

一  原告

主文同旨

二  被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  請求の原因

一  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和59年9月3日、名称を「回転体固定具」とする発明(以下「本願発明」という。)について、特許出願(昭和59年特許願第185204号)したところ、昭和63年3月14日拒絶査定を受けたので、同年5月11日査定不服の審判を請求し、昭和63年審判第8976号事件として審理され、平成元年3月2日特許出願公告(平成1年特許出願公告第12966号)されたが、特許異議申立人熊沢了(以下単に「特許異議申立人」という。)から特許異議の申立があったので、平成2年3月23日手続補正書(以下単に「手続補正書」という。)を提出して明細書の記載等を補正した(以下この補正を「本件補正」という。)けれども、平成3年10月23日、特許異議の申立は理由があるとする決定及び本件補正を却下する決定(以下単に「補正却下決定」という。)とともに「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決があり、その謄本は同年12月5日原告代理人に送達された。

二  本願発明の特許請求の範囲

軸に外嵌させた内輪1及び外輪2を互いにテーパー嵌合させて回転体Bのボス4に挿入し、内輪1のつば11と外輪相互を複数の締付けボルト3、3で締め付けることにより回転体Bを軸に固定する回転体固定具において、内輪1の大径側端部に続いて形成したつば11の外周近傍に、回転体Bのボス4内に極小なすきまを有するはめあい公差で挿入される小径段部12を形成し、この小径段部12の外周側に続くつば11の側面13を内輪1の軸線に直角な平面部とし、つば11と内輪1との接合部からつば11までの剛性を、締付けボルト3、3の締付けによりつば11各断面が僅かに傾斜状態となる程度に、比較的低く設定した回転体固定具

(別紙図面第一参照)

三  補正却下決定の理由の要点

1  本件補正は、原明細書の発明の詳細な説明の項中、本願発明の技術的手段に関する〔作用〕の記載において、「つば11の断面は、その内周側がボス4内に僅かに入り込んだ状態に傾斜する。」(本願発明に係る出願公告公報4欄21行ないし22行。以下この出願公告公報を単に「本願公報」といい、本願公報中の上記記載を「本件記載」という。)を「つば(11)の断面は、軸(A)の軸線に対して直角な姿勢から僅かに傾斜した状態となる」に変更し、また、第3図をつば11及びその近傍の変形状態が反対のものに変更するものであって、明瞭でない記載の釈明を目的とするものと認められる。

2  しかしながら、この訂正により本願発明の特許請求の範囲に記載されている「つば11各断面が僅かに傾斜する状態となる」の意味が、補正前において「つば11の断面の内周側が、ボス4内に僅かに入り込んだ状態」すなわち「内向きに傾斜するつば11」状態のみであったものから、「外向きに傾斜するつば11」状態をも含むものへと変更されて特許請求の範囲が実質上拡張されることとなる。

したがって、この補正は、実質上特許請求の範囲を拡張するものと認められ、特許法64条2項によって準用する同法126条2項に違反するものであるから、同法54条1項により却下すべきものである。

四  審決の理由の要点

1  本願発明の特許請求の範囲は、前記二記載のとおりである。

2  これに対し、大阪府立産業技術総合研究所宛株式会社椿本チェインの平成元年4月20日付実験依頼書(依頼番号RX9604)(以下「引用例1」という。)には、実験の目的は、「回転体固定具において、軸とボスとの間に、装着した場合における回転体固定具の内輪のフランジ部の変位と、その変形形状を測定する」ものであり、実験方法は、「軸に外嵌させた内輪及び外輪を互いにテーパー嵌合させてボス(本願発明にいう「回転体B」に相当する。)に挿入し、内輪のフランジ(本願発明にいう「つば」に相当する。)と外輪相互を複数のロックボルト(本願発明にいう「締付けボルト」に相当する。)で締付けることによりボスを軸に固定する回転体固定具において、内輪の大径側端部に続いて形成したフランジの外周近傍に、ボス内に極小さなすきまを有するはめあい公差で挿入される小径段部を形成し、この小径段部の外周側に続くフランジの側面を内輪の軸線に直角な平面部とし、ロックボルトにより各種の締付けトルクを与えることにより、回転体固定具のフランジ端面の軸方向変位を検出する。」ものであり、三種類の内径用の回転体固定具により、三種類の太さの軸に対して、それぞれボスを固定する場合の、実験を依頼したことが記載されている。

また、株式会社椿本チェイン宛大阪府立産業技術総合研究所長の依頼番号RX9604の依頼書に対する報告書(以下「引用例2」という。)には、引用例1による依頼に基づき、行った測定結果が報告されており、内径の異なる三種類の回転体固定具について、すべての実験結果において、回転体固定具のフランジ部が、本願発明の原明細書に添付された第3図の傾斜方向とは反対方向に変形したことが示されている。

3  本願発明の作用効果について検討する。

本願発明の願書添付の第3図は、本願発明の回転体固定具の使用状態の説明図とされており、願書に添付された原明細書の発明の詳細な説明中、特に本願発明の技術的手段を説明して、「内輪1のつば11の外周近傍に形成した側面13が回転体Bの端面の平面部に対して外側から対接するように回転体固定具が装着されることから、回転体Bの回転面が軸Aに対して正確に直交する。又、前記状態において、締付けボルト3、3が小径段部12の内周側に位置しているから、つば11の断面には、外周側で外向きとなり内周側で内向きとなる偶力が作用する。つば11と内輪1との接合部からつば11迄の部分の鋼性が比較的低く設定されているから、締付けボルト3、3の締付けトルクが所定のトルクに達すると、つば11の断面は、その内周側がボス4内に僅かに入り込んだ状態に傾斜する。小径段部12の外径とボス4の内径とのすきまは、極小さな値に設定されているから、前記つば11の傾斜によって、小径段部12の内周側の端縁は、ボス4の内周面に近接し最終的には全域的に対接することになる。」(本願公報4欄10行ないし27行)と記載されている。この記載と第3図からみる限り、本願発明における「回転体固定具のフランジ部の傾斜方向」は、「つば11の内周側がボス4内に僅かに入り込んだ状態」を現出するもののみを指すとするのが妥当であって、これ以外の他の状態が意識されているとすることはできない。

4  次に、引用例1により依頼された実験結果が示される引用例2の記載を検討する。前記のとおり、この実験では、本願発明の構成要件である「軸に外嵌させた内輪及び外輪を互いにテーパー嵌合させて回転体のボスに挿入し、内輪のつばと外輪相互を複数の締付けボルトで締付けることにより回転体を軸に固定する回転体固定具において、内輪の大径側端部に続いて形成したつばの外周近傍に、回転体のボス内に極小さなすきまを有するはめあい公差で挿入される小径段部を形成し、この小径段部の外周側に続くつばの側面を内輪の軸線に直角な平面部とすること」が条件とされている。

そして、これ以外の構成要件である「つばと内輪との接合部からつばまでの剛性を締付けボルトの締付けによりつば各断面が僅かに傾斜状態となる程度に、比較的低く設定すること」は、ロックボルトにより各種の締付けトルクを与えることにより、実験している。

したがって、本願発明の構成要件のすべてを満足した実験結果が得られているものと認められる。ところが、これらの実験結果は、本願明細書中に記載される、回転体固定具のフランジ端面の軸方向変位現象とは、全く反対の変位が生じることを示している。

してみると、本願発明の回転体固定具は、その特許請求の範囲に特定される構成要件において本願明細書と全く反対の作用を生じるものであるから、本願明細書記載の作用効果を奏しないものであって、特許法29条1項柱書に規定する産業上利用できる発明に該当しないとせざるを得ない。

5  したがって、本願発明は、本願明細書記載の作用効果を奏しないものであり、特許法29条1項柱書に規定する産業上利用できる発明に該当しないので同法29条に規定する特許の要件を欠如するものであるから、特許法49条の規定により拒絶をすべきものと認める。

五  審決を取り消すべき事由

引用例1及び引用例2に審決認定の記載があること、本願発明の願書添付の第3図が審決認定のとおりのものであり、原明細書の発明の詳細な説明中に審決認定の記載があること、引用例2に原明細書記載の変位と反対の実験結果が記載されていることは、認めるが、本件補正は実質上特許請求の範囲を拡張するものではないから、それを肯定した補正却下決定の判断は誤りであり、また、本願発明は未完成でないのに、未完成であるとした審決の判断は誤りであり、違法であるから、取り消されるべきである。

1  取消事由1

審決が前提とする補正却下決定は、「特許請求の範囲に記載されている『つば11各断面が僅かに傾斜する状態となる』の意味が、補正前において『つば11の断面の内周側が、ボス4内に僅かに入り込んだ状態』すなわち『内向きに傾斜するつば11』状態のみであったものから、『外向きに傾斜するつば11』状態をも含むものへと変更されて特許請求の範囲が実質上拡張されることとなる。」と判断し、審決は、「本願発明における『回転体固定具のフランジ部の傾斜方向』は、『つば11の内周側がボス4内に僅かに入り込んだ状態』を現出するもののみを指すとするのが妥当であって、これ以外の他の状態が意識されているとすることはできない。」と判断している。

しかしながら、本願発明の本質的作用は、つばの傾斜を問わないというべきであり、本件記載は本質的作用の一態様を示したにすぎず、本件補正は特許請求の範囲を実質上拡張するものではなく、補正却下決定は誤っており、審決の判断も誤っている。

すなわち、本願発明の特許請求の範囲中「つば11各断面が僅かに傾斜状態となる」という記載は、不明瞭なものでなく、つば11の傾斜方向の如何にかかわらず本願発明の技術的課題(目的)が達成されることが明白であるから、この記載の意味は、つば11の傾斜方向を限定しないと解される。また、原明細書には、つば11の傾斜方向を無限定とした場合にも本願発明の技術的課題(目的)であるセンタリング効果の向上を達成する本質的作用が記載されている(本願公報3欄26行ないし30行、4欄36行ないし43行)のである。

2  取消事由2

審決は、原明細書の記載に基づき、「本願発明の回転体固定具は、その特許請求の範囲に特定される構成要件において本願明細書と全く反対の作用を生じるものであるから、本願明細書記載の作用効果を奏しないものであって、特許法29条1項柱書に規定する産業上利用できる発明に該当しないとせざるを得ない。」と判断している。

しかしながら、仮に、原明細書に開示された構成によればつば11が明細書に記載された傾斜方向と逆に傾斜するとしても、次のとおり、そのことのみによっては本願発明が未完成ということはできず、審決の判断は誤っている。

(一) つば11が外向きに傾斜する場合でも、同じ効果を奏することができるから、本願発明は発明として完成している。

すなわち、最高裁判所の判例によれば、発明が完成したというためには、その技術的手段が、当該技術の分野における通常の知識を有する者が反復実施して目的とする技術効果を挙げることができる程度にまで具体的客観的なものとして構成されていることを要し、また、これをもって足りると解すべきである。判例は、発明が完成しているか否かの判断に際して、技術的手段の作用の認識に着目すべきことを指摘するものでなく、技術的手段と効果の因果関係についての客観性を要求するのみである。

本願発明の効果は、原明細書に「回転体Bを軸Aに固定した状態では、ボス4と軸Aとの間につば11の断面の一部が締付けボルトの締付け力によって強制的に押し込められた状態となり、回転体Bの端面が側面13に対接した状態で軸Aに対してつば11が密に嵌合した状態に固定されることとなるから、回転体固定状態における回転体Bのセンタリング効果が従来のものに比べて一層向上したものとなる。」(本願公報4欄36行ないし43行)と記載されたとおりのものであり、つば11の傾斜方向を問わず同じ効果を奏しうることが明らかであり、当業者が本願明細書に開示された構成を採用することにより本願明細書記載の効果をあげることができるから、判例の見解に従う限り、本願発明は完成していると判断されるべきであり、本願発明を未完成発明とした審決の判断は誤りである。

(二) 本願明細書に開示された実施例によっても、つば11が内向きに傾斜することが理論的にはありうるから、本願発明は完成している。

すなわち、外輪2とボス4との摺動阻止力が、外輪2と内輪1との間の摺動阻止力と軸Aと内輪1との間の摺動阻止力とを合わせた摺動阻止力よりも大きい場合には、原明細書及び図面に記載された方向に傾斜し、逆の場合にはその逆に傾斜する。本願公報3頁に記載された寸法表は、つば11と内輪1との接合部からつば11までの剛性を、本願発明の締付けボルトの締付けによってつば11の断面を傾斜させることができることを示すためのものであるが、一部の寸法を変更して、外輪2とボス4との間の摺動阻止力を、外輪2と内輪1との間の摺動阻止力と軸Aと内輪1との間の摺動阻止力とを合わせた摺動阻止力よりも大きくした場合、つば11が原明細書に記載されたとおりの方向に傾斜することは、当業者であれば理論的にたやすく納得できることである。

つまり、原明細書及び願書添付の図面の記載に基づき、つば11を傾斜させる実施例を想定することができるのであり、本願発明を未完成発明ということはできない。

第三  請求の原因の認否及び被告の主張

一  請求の原因一ないし四の事実は認める。

二  同五の審決の取消事由は争う。補正却下決定及び審決の認定、判断は正当であって、補正却下決定及び審決に原告主張の違法は存在しない。

1  取消事由1について

本件記載は、原明細書の「作用」の項の冒頭の「上記技術的手段は次のように作用する。」(本願公報3欄43行)に続く部分の記載である。また、本件記載が導かれる部分に「つば11の断面には、外周側で外向きとなり内周側で内向きとなる偶力が作用する。」(本願公報4欄16行ないし17行)との記載があり、そのような偶力が作用する結果つば11の傾斜方向が内向きになる旨が示されている。さらに、特許異議申立人がつば11の傾斜方向が願書添付の明細書及び図面の方向(内向き)と全く反対方向になる実験結果を提出したのに対し、原告はそれに対抗できる実験結果を提出せず、手続補正書を提出して傾斜方向を異議申立人の実験結果に合致するように置き換えたという、審決に至る経緯を考えると、原告は実験によってつば11の傾斜方向を確認していないと推認され、原告は本件出願当時つば11の傾斜方向として内向きのものしか意識していなかったというべきである。

したがって、本件記載は本願発明の作用そのものの記載であって、原告主張のような本質的作用の一態様ということはできず、本件補正前の特許請求の範囲に記載された「つば11各断面が僅かに傾斜する状態となる」の意味は「内向きに傾斜するつば11」の状態のみと解すべきであり、「外向きに傾斜するつば11」状態をも含むものへと変更する本件補正は、特許請求の範囲を実質的に拡張するものであるから、そのことを理由として本件補正を特許法64条2項において準用する同法126条2項の規定に違反するものとして却下した補正却下決定の判断には誤りはない。

2  取消事由2について

審決が本願発明は特許法29条1項柱書に規定する発明に該当しないとした趣旨は、本願発明は、発明として未完成なものであって、同法2条1項の規定にいう「発明」とはいえないから、ひいては同法29条1項柱書に規定する発明に該当しないという趣旨である。

ところで、最高裁第一小法廷昭和52年10月13日判決・民集31巻6号805頁は、発明の技術内容は、当該の技術分野における通常の知識を有する者が反復実施して目的とする技術効果を挙げる程度にまで具体的客観的なものとして構成されていなければならないものと解するのが相当であり、技術内容が上記の程度にまで構成されていないものは発明として未完成なものと判示している。

本件において、特許異議申立人の実験結果と原明細書の作用の項の記載とでは、つば11の傾斜方向が反対であるから、本願明細書の発明の構成すなわち技術内容は、当該技術分野における通常の知識を有する者が反復実施して目的とする技術効果を挙げる程度にまで具体的客観的なものとして構成されていないこととなる。したがって、上記最高裁判決に照らせば、本願発明は、発明として未完成なものであって、特許法29条1項の発明とはいえず、ひいては特許法29条1項柱書に規定する産業上利用できる発明に該当しないというべきである。

そして、次のとおり、原告の主張は失当であって、審決は正当である。

(一) 取消事由2の(一)の主張について

前述したとおり、本願発明のつば11は、原明細書及び願書添付の図面の記載によれば、内向きに傾斜すると解釈せざるを得ず、原明細書及び願書添付の図面につば11が外向きに傾斜するとの記載も示唆もない。

そして、つば11が内向きに傾斜しないことは、特許異議申立人が提出した実験結果から明らかであるから、原明細書及び願書添付の図面に唯一開示されたつば11の傾斜方向が内向きとなるとの作用についての記載は、事実に反するといわざるをえない。

したがって、本願明細書及び図面によれば、本願発明の技術的手段すなわち構成と本願発明の効果とを結び付けるつば11の傾斜方向が内向きとなる作用が事実に反するものである以上、本願発明の効果を認めることはできず、結局、本願発明は、当業者が反復実施して目的とする技術効果を挙げることができる程度にまで具体的客観的なものとして構成されているとはいえず、産業上利用することができる発明に該当しないから、原告の主張は失当である。

(二) 取消事由2の(二)の主張について

原告の主張は、明細書及び図面の記載に基づくものではなく、特に内向きに傾斜することについては、実験等による裏付があるわけではなく、その正当性が極めて疑わしい。したがって、明細書及び図面に記載されていないこのような考え方を根拠に本願発明が完成されたものであるとする原告の主張は、失当である。

第四  証拠関係

本件記録中の証拠目録の記載を引用する。(なお、後記理由中において引用する書証は、特に成立について明記するものを除いて、いずれも成立に争いがない)。

理由

一  請求の原因一(特許庁における手続の経緯)、同二(本願発明の特許請求の範囲)、同三(補正却下決定の理由の要点)及び同四(審決の理由の要点)の各事実は、当事者間に争いがない。

二  甲第3号証と前記当事者間に争いがない事実によれば、原明細書には、本願発明の技術的課題(目的)、構成、作用及び効果について、次のとおり記載されていることが認められる。

1  本願発明は、構造部材又は機械における相対回転部材相互の締付け又は固定のための装置に関するもので、特に歯車、プーリー等の回転体を軸に固定するための所謂回転体固定具に関する(本願公報2欄4行ないし8行)。

この種回転体固定具としては、既に昭和59年実用新案出願公告第8013号公報に開示されたものがある。このものは、第7図に示されたように、小径段部12の外径が軸Aに固定される歯車、プーリー等の回転体Bのボス4の内径に対して所定のはめあい公差に設定されているため、ボス4と軸Aとの間に固定具を挿入してつば11と外輪2との間に介装した複数の締付けボルト3、3を締め付けると、外輪2と内輪1とのテーパー嵌合効果により、内輪1が軸Aに、外輪2がボス4に、また、内輪1、小径段部12相互が、それぞれ圧接されて回転体Bが軸Aに固定される。このとき、回転体Bは軸Aに対して公差に見合った精度でセンタリングされ、締付けボルト3、3の締付けトルクのばらつきによる大きな偏心が防止できる。このことは、昭和54年特許出願公開第118971号公報に開示のものについてもいえる。ところが、上記従来のものでは、前記はめあい公差以上のセンタリング効果はなく、はめあい公差の範囲で偏心する。これは、予め十分な剛性に設定されたつば11を具備するものの場合、小径段部12とボス4との間隙がそのまま最終固定状態の間隙として残るからである。(同2欄11行ないし3欄19行)。

本願発明は、このような回転体固定具において、回転体Bの固定の際のセンタリング効果を一層向上させるために締付けボルトの締付けによって内輪1のつば11のうちボス4に挿入される部分の外径が拡大せしめられるようにすることを技術的課題(目的)とする(同3欄21行ないし30行)ものである。

2  本願発明は、前記技術的課題を解決するために本願発明の特許請求の範囲記載の構成(本願公報1欄2行ないし15行)を採用した。

3  本願発明の技術的手段は次のように作用する。

内輪1及び外輪2は、上記1記載の従来のものと同様に、回転体Bのボス4と軸との間に挿入され、両者間に介装した複数の締付けボルト3、3を締め付けると、従来例と同様の作用で回転体Bが軸に固定される。内輪1のつば11の外周近傍に形成した側面13が回転体Bの端面の平面部に対して外側から対接するように回転体固定具が装着されることから、回転体Bの回転面が軸Aに対して正確に直交する。また、締付けボルト3、3が小径段部12の内周側に位置しているから、つば11の断面には、外周側で外向きとなり、内周側で内向きとなる偶力が作用する。つば11と内輪1との接合部からつば11迄の部分の剛性が比較的低く設定されているから、締付けボルト3、3の締付けトルクが所定のトルクに達すると(本願公報3欄43行ないし4欄21行)、「つば11の断面は、その内周側がボス4内に僅かに入り込んだ状態に傾斜する。小径段部12の外径とボス4の内径とのすきまは、極小さな値に設定されているから、前記つば11の傾斜によって、小径段部12の内周側の端縁は、ボス4の内周面に近接し最終的には全域的に対接することとなる。」(同4欄21行ないし27行)

すなわち、ボス4と軸Aとの間につば11の断面の一部が締付けボルトの締付け力によって強制的に押し込められた状態となり、回転体Bの端面が側面13に対接した状態で軸Aに対してつば11に密に嵌合した状態に固定されることになる(同4欄28行ないし32行)。

4  本願発明は、回転体Bを軸Aに固定した状態では、ボス4と軸Aとの間につば11の断面の一部が締付けボルトの締付け力によって強制的に押し込められた状態となり、回転体Bの端面が側面13に対接した状態で軸Aに対してつば11が密に嵌合した状態に固定されることとなるから、回転体固定状態における回転体Bのセンタリング効果が従来のものに比べて一層向上したものとなる(本願公報4欄36行ないし43行)という効果を奏するものである。

三  取消事由2について

引用例1及び引用例2に審決認定の記載があること、本願発明の願書添付の第3図が審決認定のとおりのものであり、原明細書の発明の詳細な説明中に審決認定の記載があることは、当事者間に争いがない。

前記一のとおり当事者間に争いがない請求の原因三及び四の事実によれば、補正却下決定は、本件補正が実質上特許請求の範囲を拡張するものであることを理由にこれを却下したものであり、審決は、本願発明が発明として未完成のものであって、特許法2条1項の規定にいう「発明」とはいえないから、ひいては同法29条1項柱書に規定する発明に該当しない趣旨でこれを拒絶すべきものとしたことが明らかである。

そして、明細書の記載不備の場合と異なり、発明が未完成の場合には補正によってその瑕疵を補う余地はないから、まず願書添付の原明細書及び図面の記載に基いて本願発明が未完成発明であるか否かについて判断する。

審決は、本願公報4欄10行ないし27行の記載及び第3図からみる限り、本願発明における「回転固定具のフランジ部の傾斜方向」は「つば11の内周側がボス4内にわずかに入り込んだ状態」を現出するもののみを指すとするのが妥当であるところ、引用例2の記載によれば、本願発明における回転体固定具は、特許請求の範囲に特定される構成要件において本願明細書と全く反対の作用を生じるものであるから、本願明細書記載の作用効果を奏しないものであって、発明として未完成である、と判断している。

そこで、本願発明の特許請求の範囲の記載について検討すると、審決が言及している「傾斜方向(正しくは傾斜状態)」という文言は、特許請求の範囲中では「つば11と内輪1との接合部からつば11までの剛性を、締付けボルト3、3の締付けによりつば11各断面が僅かに傾斜状態となる程度に、比較的低く設定した」との文節中に見出されることが、明らかである。

したがって、当業者であれば「傾斜状態」という文言は、つば11と内輪1との接合部からつば11までの剛性の程度を表わす「締付けボルト3、3の締付けによりつば11各断面が僅かに傾斜状態となる程度に」との副詞句の一部に用いられているから、この文言は、つば11と内輪1との接合部からつば11までの剛性の程度を表わすためのものと理解するというべきである。

ところで、前記二の認定事実に照らせば、本願発明はボルトの締付け力によって、つばを撓めるような偶力を発生させ、つばを傾斜させようとするものであるということができるが、つばの傾斜方向は偶力の発生方向によって決まることは自明である。そして、つばの剛性の程度を表わす記載は、つばの撓みやすさを表わすにすぎないから、それのみでは力の方向を示す記載とはなりえず、その力の方向は接合部から外縁までの長さに占める締付けボルトの締付け位置、又は内輪及び外輪の接触面のテーパの大小、各部材のはめあい部の径等各部材の相対的な移動のしやすさを定める要件によって決定されることも、技術上自明というべきである。そうすると、本願発明の特許請求の範囲の上記記載は、物体の剛性が低ければ物体は大きく変形し、高ければさほど変形しないという技術常識を念頭に置いて、本願発明が、締付けボルトの締付け力を受ければ、つばが僅かに変形する程度すなわち僅かに傾斜する程度に、その剛性を設定することを構成要件としていることを表わしたものとみることができる。その一方で、本願発明の特許請求の範囲には、接合部から外縁までの長さに占める締付けボルトの相対的位置、内輪及び外輪の接触面のテーパの大小、各部材のはめあい部の径等、偶力の発生方向を定めうる具体的な数値等は全く記載されていない。

以上を要するに、本願発明の特許請求の範囲には、つばの剛性の程度を表わす構成要件の記載はあるが、傾斜方向という概念を包含する記載又は本願発明が傾斜方向を構成要件としているとみるべき記載がないことが、明らかであるから、当業者の立場に立って、前記特許請求の範囲として記載されたところを理解すれば、本願発明の構成は、つばの剛性が締付けボルト3、3の締付けによりつば11の各断面が僅かに傾斜状態となる程度のものであれば足り、つばの傾斜方向を問わないものであるといわなければならない。

このことは、原明細書の発明の詳細な説明の記載中前記二の4の効果の部分をみると、回転体固定状態における回転体Bのセンタリング効果を得るには、つばを内向きに傾斜させることが必須の条件とされておらず、ボス4と軸Aとの間につば11の断面の一部が締付けボルトの締付け力によって強制的に押込められた状態となれば本願発明の目的が達成される旨が記載されていることとも符合する、というべきである。

ところで、甲第3号証、第4号証の3、4によれば、引用例2記載の実験は、原明細書に開示された技術的手段(寸法表)をもとにして当業者としての技術常識を適用して行われたことが認められるから、引用例2記載の実験は、つばと内輪との接合部からつばまでの剛性を締付けボルトの締付けによりつばの各断面が僅かに傾斜状態となる程度に比較的低く設定するという点で本願発明の構成要件と同一の構成を具備したのみならず、本願発明の実施態様とみるべきその他の条件のすべてを具えた条件下で実験されたと推認することができる。

そして、引用例2には原明細書記載の変位とは反対の実験結果が記載されている(原明細書には後記四にいう内向きに傾斜するとされているのに、実験結果では同外向きに傾斜することが示されている。)ことは当事者間に争いがない。しかしながら、本願発明の要旨とする構成がつばの傾斜方向を問わない以上、そのことを理由に本願発明が発明として未完成であるとすることはできない。しかも、引用例2記載の実験によれば、締付けボルト3、3の締付けにより、つば11の各断面が僅かに傾斜状態になることが明らかとなったのであるから、その実験は、寸法表に示されたとおりの数値を採用して、つば11と内輪1との接合部からつば11までの剛性を比較的低く設定した場合には、締付けボルト3、3の締付けによりつば11の各断面が僅かに傾斜状態になることを実証しているというべきである。

そうすると、特許請求の範囲記載の構成要件を要旨とする本願発明は、当業者が原明細書の記載に基いて反復実施可能であると認められるから、本願発明の要旨とする構成を「つば11の内周側がボス4内に僅かに入り込んだ状態」を現出するもののみを指すことを前提に、引用例2の記載に基づき、本願発明における回転体固定具は、発明として未完成である、とした審決の前記判断は、誤りである。

四  取消事由1について

甲第3号証、第6号証と前記の当事者間に争いがない事実によれば、本件補正は、本願発明の特許請求の範囲の記載を直接補正するものではなく、原明細書の記載のうち前記二の3の作用に係る本願公報4欄21行ないし27行の鍵括弧内の記載を「つば(11)の断面は、軸(A)の軸線に対して直角な姿勢から僅かに傾斜した状態となる。小径段部(12)の直径とボス(4)の内径とのすきまは、極小さな値に設定されているから、前記つば(11)の各断面の傾斜によって、小径段部(12)となる円周面の両端縁の一方は、ボス(4)の内周面に近接し最終的には全域的に対接することとなる。」(手続補正書2枚目9行ないし16行)と訂正し、また、この訂正に対応し、原明細書において実施例として第6図に言及していた記載(本願公報7欄4行ないし9行)を訂正して「取付け方によっては、外輪(2)が回転体(B)に対して軸線方向外側(つば(11)側)に移動しないように取付けることも可能であり、この場合には、締付けボルト(3)、(3)の締付け状態において、つば(11)が外向きに傾斜することがある。(中略)このようにつば(11)が外向きに傾斜する場合には、(中略)つば(11)の外側面を中心側に向かって凸のテーパ面(18)とし、このテーパ面の傾斜角度を締付け後のつば(11)の傾斜角度に合わせておけば、締付けボルト(3)、(3)を締付けた場合におけるボルト頭部の曲りも生じにくくなる。(後略)」(手続補正書2行ないし19行)と改め、図面のうち第3図を別紙図面第二記載のとおり訂正するものであることが認められる。

したがって、原明細書においては、発明の詳細な説明の項につば11の内周側がボス内に入り込んだ方向に傾斜する(以下において「内向きに傾斜する」というときは、この状態をいい、逆につば11の外周側が内周側よりボスの方向に傾斜する状態を「外向きに傾斜する」という。)との本件記載があり、第3図としてそれに対応する図が記載されていたところ、本件補正は、第3図を内向きに傾斜するものから外向きに傾斜するものに改め、発明の詳細な説明の項では外輪の取り付け方によってはつばが内向きに傾斜することもあるとの表現に改めるもので、要するに、補正前の発明の詳細な説明には明記されていなかった、つばが外向きに傾斜する場合を追加するものであって「明瞭でない記載の釈明」(特許法64条1項3号)を目的とする補正であることが、明らかにされている。

そして、前記三において判断したとおり、つばが内向きに傾斜し、又は外向きに傾斜するという事項が本願発明の特許請求の範囲に含まれない事項である以上、つばが外向きに傾斜するとの記載が原明細書になくても、本件補正により発明の詳細な説明中にこれを追記し、願書添付の図面第3図を内向きに傾斜するものから外向きに傾斜するものに改める補正をしたことにより特許請求の範囲に記載された技術的範囲の意味、内容が変化すると判断することは無理であり、したがって本件補正が特許請求の範囲を実質的に拡張し、又は変更するものとはいうことはできない。

五  以上のとおり、本願発明が発明として未完成のものであって、特許法2条1項の規定にいう「発明」とはいえないから、ひいては同法29条1項柱書に規定する発明に該当しない趣旨でこれを拒絶すべきものとした審決の判断は誤りであり、また、本件補正が実質上特許請求の範囲を拡張するものであることを理由に本件補正を却下した補正却下決定も誤りである。

もっとも、前記のとおり、本願明細書には、つばの傾斜方向として内向き方向のものが記載され、本件補正後においても、内向き方向のものが含まれているところ、本件全証拠を精査しても、本願発明においてつばを内向きに傾斜させることができるといいうる理由及び内向きに傾斜させることができる条件を示す資料があるとは認められない。すなわち、甲第3号証及び第6号証を詳細に検討しても、外輪をどのように取り付ければよいかなど、つば11が内向きに傾斜するように本願発明を実施するための具体的態様を明らかにする記載がないし、そもそもなぜつばが内向きに傾斜する場合があるかの理由に触れた記載もなく、他にこれらの点を明らかにする証拠は全くない。したがって、本件補正後においても、本願明細書の記載には不備な点があるというべき余地が十分にある。

しかしながら、前記検討の結果によれば、つばの傾斜方向は、本願発明の特許請求の範囲に含まれず、発明の作用に属するということができる。

ところで、発明の作用の記載が不備であれば、発明の技術的思想の正確な理解が妨げられるため、特許法36条により明細書に記載すべき事項が不備であるとして特許を拒絶されることがありうることは、否定することができない。しかし、発明は、その技術内容が当該の技術分野における通常の知識を有する者(当業者)が反復実施して目的とする技術効果を挙げることができる程度にまで具体的、客観的なものとして構成されていなければならず、技術内容がその程度にまで構成されていないものは発明として未完成というべきである(最高裁第一小法廷昭和52年10月13日判決・民集31巻6号805頁参照)が、逆に発明が、その程度にまで構成されていれば、明細書の記載が不備であるかどうかにかかわらず、未完成ということはできない。したがって、作用を正確に記述できていない場合においても、そのことだけを理由として産業上利用できる発明であることを否定して未完成発明であるとすることは、不当であるといわなければならない。

本願発明において、実験によってつばが内向きに傾斜するとの記載が誤りであることが立証されたとしても、そのことは本願明細書記載の技術的手段と効果との因果関係の食違いという明細書記載上の不備が立証されたというに留まる。

そうすると、本件補正後の本願明細書に記載不備があると言える余地は十分残されているものの、本願発明を未完成ということは不当であるというべきである。

六  よって、審決の違法を理由にその取消を求める原告の本訴請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 竹田稔 裁判官 成田喜達 裁判官 佐藤修市)

(別紙図面第一)

<省略>

(別紙図面第二)

<省略>

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